早朝、
私は山梨県と神奈川県の県境に位置する、
御正体山(みしょうたいやま)の
登山口近くに立っていた。
時刻は午前7時。
11月上旬の澄み切った冷たい空気が、
肌を心地よく引き締める。
目的は、この時期ならではの紅葉を楽しみながら、
そして、
その紅葉の森の向こうにそびえる
富士山の雄大な姿を拝むことだった。
車を山伏峠(やんぶしとうげ)の路肩に止め、
準備を整える。
標高1,682m。
御正体山は、
丹沢と道志山塊の間に位置し、
静かな山歩きを楽しめる、
知る人ぞ知る名峰だ。
その名が示す通り、
「御正体」
つまり神仏の本体が宿る山として、
古くから信仰を集めてきた歴史を持つ。
聖なる峠の入り口、深まる秋
山伏峠の登山口から、
私は森の中へと足を踏み入れた。
今日の天候は、
この上ない快晴。
頭上からは、太陽の光が、
木々の葉を透過して降り注いでいる。

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そして、まさしく紅葉の盛り。
カエデやブナ、ナナカマドの葉が、
鮮やかな赤、オレンジ、黄色に染まり、
登山道全体を明るく彩っていた。
整備された道は、
気持ちの良い広葉樹林帯を縫うように登っていく。
足元には、
ふかふかとした落ち葉の絨毯が敷き詰められ、
踏みしめるたびに乾いた音が響く。
この時期のこの森は、
まるで自然が作り出した美術館のようだ。
日常の喧騒から離れ、
ただひたすらに、
この美しい色彩と、
澄んだ空気の中を歩く喜びを感じていた。
御正体山は、
その静かな佇まいから、
多くのハイカーに愛されている山だという。
歩きやすい道と、
深い森の癒しが、
この山が持つ魅力なのだろう。
紅葉越しの富士、至高の眺望
登り始めてしばらくすると、
木々の間から、
時折、白い巨体が覗き始めた。
富士山だ。
その姿が見えるたびに、思わず立ち止まってしまう。
そして、ついに森が開け、
最高の展望スポットに辿り着いた。

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そこは、登山道から少し外れた場所にある、
富士山を見通せる丘だった。
目の前に広がる光景は、
まさに絶景。
谷間を埋め尽くすように広がる紅葉の海。
その燃えるような色彩の彼方に、
日本一の山、富士山が、
雄大で堂々とした姿でそびえ立っている。
雪化粧を始めた山頂と、
中腹の濃い青灰色のコントラストが、
手前の紅葉の鮮やかさを、一層引き立てていた。
この景色を見るために、
私は今日、この山に登ることを決めたのだ。
紅葉と富士山という、
日本の秋が誇る二大絶景を
同時に堪能できる贅沢な時間。
その雄大さに、
私は言葉を失い、
ただただシャッターを切る。
冷たい風が吹き抜け、
葉を揺らす音だけが、
静寂を破っていた。
この場所で得られた感動こそが、
御正体山の最も大きな宝物だと感じた。
信仰の山頂、歴史の囁き
展望の丘を後にし、
再び深い森の中を登り続ける。
山頂が近づくにつれて、道はやや急になり、
岩も増えてきた。
そして、ついに御正体山の山頂に到着した。
標高1,682mの頂は、
平坦で、広々としている。

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しかし、山頂からの眺望は、
私が期待していたものとは少し違っていた。
周囲は木々が深く茂っており、
残念ながら、あまり景色を見ることはできなかった。
先ほどの展望の丘からの眺めが、
あまりにも素晴らしかったから、
その落差に少し肩を落とす。
だが、その代わり、
山頂には、
この山が持つ歴史と物語を伝えるものがあった。
山頂の標柱の傍らには、
真新しい立札が立てられていた。
そこには、
「2004年に皇太子殿下(現・天皇陛下)も登頂されました」という趣旨の文字が刻まれている。
古くから神仏が宿る山として信仰されてきたこの山が、
現代においても、
皇室の方々にも登られる、
格調高い山であるということを物語っていた。
御正体山という名が示す
「聖なる本体」
の存在を、
この立札と、周囲の深い静寂が、
改めて感じさせてくれた。
景色はなくても、
この山頂には、
静かな威厳と、
時を超えた物語が満ちていた。
聖地の余韻、山から日常へ
山頂で簡単な食事を済ませ、
私は下山を開始した。
帰路もまた、紅葉の森の中を歩く。
午前中よりも太陽の光が斜めに差し込み、
紅葉の色はさらに深みを増しているように見えた。
落ち葉を踏みしめる度に、心が洗われていくようだ。
多くの登山客とすれ違う賑やかな山とは違い、
この御正体山は、終始、静かで穏やかな時間が流れていた。
山伏峠の登山口に戻り、
車に乗り込む。
エンジンをかけると、
再び日常の時間が動き出す。
短い時間ではあったが、
都会の喧騒から離れ、
紅葉の美しさと、
富士山の雄大さ、
そして山の静かな歴史に触れることができた。
その体験は、私の心を深くリフレッシュしてくれた。


