始まりの儀式、自己との対話
チェーンソーの刃を研ぐ行為は、
単に道具の切れ味を回復させる作業ではない。
それは、
これから森や木々との対話に臨む者にとっての、
静かな始まりの儀式だ。
電動ヤスリや自動研磨機が溢れる時代にあって、
手作業で一本一本の刃(ソーチェン)を研ぐことは、
自己の内面と深く向き合う対話の時間となる。
ファイル(丸ヤスリ)の角度、
押さえる力、
そして回数。
それらは全て、
使い手の精神状態と
技術の正確な反映であり、
ごまかしが効かない。
完璧を目指す過程で、
鋸歯研磨人は
自らの集中力、忍耐力、そして決断力
を試される。
この研ぎ澄まされた時間は、
日々の雑念を払い、
目的意識を明確にする
精神の整地なのだ。
刃の鈍りが、
作業効率の低下や危険に直結するように、
心の鈍りは、
人生の歩みを不確かで不安定なものにする。
鋸歯研磨人は、
刃を研ぎながら、
自己の存在を研ぎ澄まし、
来るべき作業(人生の課題)に
万全の備えをするのだ。
痕跡を消し、新たな歴史を刻む
刃に残るわずかな
チッピング(欠け)や、
作業中に付着した樹脂の痕跡は、
過去の作業の激しさや、
乗り越えてきた困難の記憶を物語っている。
鋸歯研磨人は、
それらの痕跡を注意深く観察し、
刃のどの部分が最も摩耗したのか、
どのような負荷がかかったのかを読み解く。
この行為は、
過去の経験を教訓とし、
未来の行動を改善するための
内省のプロセスだ。
ヤスリが鋼に触れるたびに生まれる
微細な金属粉と金属の音は、
過去の傷を削ぎ落とし、
新たな鋭利さを生み出す
創造の音である。
研ぎの工程で、
研磨人は過去の「失敗」や「困難」の
象跡を消し去り、
次の作業で
木に刻む新しい歴史
のための準備をする。
研ぎ終えた刃は、
無垢な鋭さを取り戻す。
それは、人が過去の執着を断ち切り、
「今」この瞬間に集中することの象徴だ。
この鋭さは、
木を容易に切り進む力であると同時に、
研磨人が人生の障害を
迷いなく断ち切るための力となる。
研ぎの向こう側、道具との共生
研ぎ澄まされた刃は、
研磨人の魂の一部となる。
それは単なる「道具」ではなく、
作業者の意図を森に伝える媒介者だ。
刃が最高の状態で研ぎ上がった時、
チェーンソーの振動は手に馴染み、
木への侵入は滑らかになる。
この瞬間、鋸歯研磨人は、
道具との完璧な一体感
を体験する。
この研磨という営みは、
道具を使い捨てにせず、
常に最良の状態に保つという
持続可能な精神の実践でもある。
刃を丁寧に手入れすることは、
自然から与えられた恵み(木)に対する
敬意の表れであり、
資源を最大限に活かす
ための責任だ。
鋸歯研磨人は、
刃を研ぐことを通じて、
自然の摂理、
自己の内面、
道具との関係性
という三つの要素を調和させる。
鋭利な刃の輝きは、
困難に立ち向かう覚悟の光であり、
彼らが目指す
「森との共生」
という深い哲学の象徴なのだ。


