【諸行無常と時】なぜ秋に朝顔が咲く?スピリチュアルな意味と花言葉

ききみみ本来

 

11月だってのに、うちの玄関先の朝顔がまた咲いてたわ。

暑かった夏も終わりを告げ、
涼しい風が吹き始める頃。

道端や庭先で、
ふと朝顔の姿を見かけることはありませんか?

 

朝顔といえば、夏休みの風物詩。

 

なぜ、この時期に咲く朝顔があるのでしょうか。
実は、晩夏や秋に咲く朝顔には、
単なる季節外れではない、
深く美しい意味が隠されています。

 

遅咲きの朝顔だなんて、なんだか意味深だなぁ

 

1. 秋の朝顔が持つスピリチュアルな意味とは

 

晩夏や秋に咲く朝顔は、
私たちにさまざまなメッセージを届けてくれています。

 

【変わりゆく愛と人生の象徴】
朝顔は夏に盛んに咲きますが、
季節が移り変わる秋に再び花を咲かせる姿は、
時の流れとともに移り変わる愛や、
人生の新たな転機を象徴しているとされます。

この時期に秋の朝顔を見かけたら、
それは「人生の新たな局面」が
訪れるサインかもしれません。

過去を振り返り、

新たな一歩を踏み出す良い機会だと
捉えてみてはいかがでしょうか。

 

【遅れてくる美しさや希望】
通常の時期を過ぎてなお咲く朝顔は、
遅咲きの美しさ」や、
諦めかけた頃に訪れる「希望」を意味します。

何かを諦めかけていたとき、
この花が目の前に現れたら、
それはきっと「もう少し待ってみて」
というメッセージです。
焦らず、
ゆっくりと進んでいくことの
大切さを教えてくれています。

 

【不屈の精神と粘り強さ】
夏の強い日差しと暑さに耐え、
秋の涼しさの中で再び花を咲かせる朝顔の姿は、
困難な状況にも負けない
不屈の精神粘り強さを表します。

今、あなたが直面している苦労や努力が、
やがて美しい花を咲かせる時が来る、
という力強いメッセージを
伝えているのかもしれません。


 

2. 秋の朝顔の花言葉と種類

 

朝顔の一般的な花言葉は、
「はかない恋」や「愛情の絆」などが有名です。

これは、夏の朝に咲いて
昼にはしぼんでしまう姿に由来しています。

 

しかし、秋に咲く朝顔には、
少し異なる解釈が加わります。
晩夏から秋にかけて咲くたくましい生命力から、
「不屈の愛」や「諦めない心」といった、
より力強いメッセージを伝えていると
解釈されることもあります。

 

また、秋咲き朝顔には、
いくつかの種類があります。

  • 自然に咲く朝顔:
    夏に咲き損ねた花が、
    気温が下がる秋に再び開花することがあります。
    これは、
    夏の暑さでつぼみや葉の成長が一時的に停滞し、
  • 涼しくなることで生育が
    再開するために起こります。

 

  • 秋咲き朝顔の品種:
    品種改良によって、
    意図的に秋に開花するようにされた
    朝顔も存在します。
    これらの品種は、
    夏の終わりに種をまくことで、
    涼しくなった時期に花を楽しむことができます。

 

3. 秋の朝顔を育てるには?

 

秋咲き朝顔を自宅で楽しみたい場合、
夏に種まきをすることが重要です。

  • 種まきの時期:
    7月下旬から8月上旬がおすすめです。
    この時期に種をまくことで、
    秋の涼しくなった頃に開花します。

 

  • 種の選び方:
    「秋咲き朝顔」と明記されているものが売られています。

 

  • 日当たりと水やり:
    日当たりの良い場所に置きます。
    ただし、真夏の強い日差しは避け、
    半日陰の場所で管理しましょう。
    水やりは、
    土の表面が乾いたらたっぷりと与えます。

 

  • 剪定(せんてい):
    適度にツルを剪定することで、
    風通しが良くなり、
    病気を防ぐことができます。

 

うちはほったらかしていただけだけどね。

 

4. まとめ:朝顔が教えてくれるスピリチュアルなメッセージ

 

秋に咲く朝顔は、
私たちにさまざまなメッセージを送ってくれています。

もし、道端で秋の朝顔を見かけたら、
それは単なる偶然ではないかもしれません。

 

「今、あなたが直面している困難な状況も、
やがて希望に変わる」
「焦らず、ゆっくりと進んでいけば、
必ず美しい結果が待っている」

 

そんな風に、
朝顔が私たちに語りかけているのかもしれません。

涼しくなった秋の澄んだ空気の中で、
一輪の朝顔が教えてくれる
スピリチュアルなメッセージに、
そっと耳を傾けてみてはいかがでしょうか。

 

 

秋のアサガオに宿る禅の本質

1. 諸行無常と「時」を全うする姿

 

アサガオは本来、太陽が最も旺盛な夏に咲く花です。その「盛りの時」が過ぎ、周囲が収穫や落葉へと向かう中で、静かに一輪を咲かせる秋のアサガオは、万物は常に移り変わり、とどまるものはないという

「諸行無常」の理(ことわり)を体現しています。

無常の理:
季節は巡り、盛りが過ぎても命の営みは途絶えません。秋のアサガオは、過ぎ去った夏に執着することなく、冷たい風や弱い日差しという「今の環境」をただ受け入れています。
本質:
禅は、「変化こそが真実」であると説きます。
秋に咲くことは、「夏の花」という固定観念を打ち破り、「今この時」にふさわしい命のあり方を選びとる「自在」の境地を示しているのです。

 

2. 只今と「一輪」の完全さ

 

秋のアサガオは、夏の太陽の下で咲き誇った群生のような派手さはありません。たった一輪、あるいはわずかに寄り添うように咲く姿に、かえって命の凝縮を感じさせます。

只今(現前の一瞬):
禅の修行は、過去を悔やまず、未来を憂えず、「ただ今、この瞬間」に全力を注ぐことを求めます。秋に咲く一輪のアサガオは、「今」という限られた条件の中で、その花弁の色、形、そして命のすべてを「今」に注ぎ込み、「完全な一輪」として存在しています。
本質:
これは「足るを知る(知足/ちそく)」の教えです。盛りの勢いを求めず、周囲の環境や咲く時期の「不足」を嘆かず、今ある光と力で最大限に自己を表現しています。「一輪」であることに「欠け」はなく、その刹那的な存在にこそ、「命のすべて」が詰まっていることを教えてくれるのです。

 

結論:放下着(ほうげじゃく)の境地

 

秋のアサガオは、夏の「栄光」や「役割」といった一切の「計らい(はからい)」を捨て、ただ「咲く」という純粋な行為に徹しています。

これは、執着をすべて投げ捨て、ありのままの自己に帰る「放下着(ほうげじゃく)」の境地そのものです。

「私はアサガオである」という「本来の自己」を、最も静かで最も厳しい時期に、最も清らかに体現しているのが、秋の一輪のアサガオなのです。

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