早朝、
私は福島県の裏磐梯地域、
神秘的な輝きを放つ五色沼(ごしきぬま)のほとりに立っていた。
時刻は、夜明け前。
11月上旬の鋭い冷気が、
トレイルランナーとしての私を覚醒させる。
今日の目的は、
競技としてのトレイルランではなく、
この広大な裏磐梯の自然を、
その厳しい時期に一気に駆け抜ける、
一種の「儀式」だった。
選んだコースは、五色沼をスタートし、
スキー場から磐梯山(ばんだいさん)山頂を経由、
さらに猫魔ヶ岳(ねこまがたけ)を抜け、
雄国沼(おぐにぬま)を周回して、
帰りは車道を通り戻る、
全長40km弱の壮大な縦走ルート。

山はすでに冬の気配に包まれ、
その厳しさが予感される。
この裏磐梯の雄大な自然と、
自分の限界に、真っ向から挑戦したいと願っていた。
五色沼の夜明け、白き森への鼓動
五色沼のほとりから、
私は静かにスタートを切った。
まだ闇が残る森の中を、
ヘッドライトの光を頼りに走る。
沼の水面は静まり返り、
冷たい空気が張り詰めている。
しかし、ランナーとしての体は、
すぐに熱を帯び、
力強い鼓動を刻み始めた。
道はすぐに、
磐梯山スキー場へと続く登りへと変化する。
ゲレンデ脇の急斜面を、
息を切らしながら一気に駆け上がる。
このトレイルの核心部、
磐梯山の頂を目指して、
高度を稼いでいく。
標高が上がるにつれて、
周囲の植生は変化し、
樹林帯を抜けると、
強烈な風が私を迎え入れた。
磐梯山は、
1888年の噴火によって山容を一変させ、
裏磐梯の独特な湖沼群(五色沼など)を生み出した、
「爆裂火口」を持つ山だ。
その歴史的背景が、
この山に他にはない威厳と荒々しさを与えている。
今日の挑戦は、
その大地の物語を、
自分の足で辿る旅でもあった。
白き魔女の歓迎、荒ぶる天候
スキー場上部から山頂へと向かう道は、
急に表情を変えた。
紅葉の季節は終わり、
道沿いの草木は枯れ、茶色と灰色の世界が広がる。
そして、山頂付近では、
予想通り、厳しい天候が私を待っていた。
幸い、地面に積雪はなかったものの、
空からは雪を伴う吹雪が吹き付けてきた。

DCIM100GOPRO
冷たい風と雪が顔に叩きつけられ、
視界が白く遮られる。
気温は一気に氷点下まで下がり、
汗で濡れた体が急速に冷やされていく。
ランニングウェアの下に着込んだ防寒着を
さらに引き絞り、 私は吹雪の中を、
「魔女の瞳」と呼ばれる噴火口跡を横目に、
山頂を目指した。
一歩進むごとに、自然の容赦ない厳しさを痛感する。
そして、ついに磐梯山山頂に到達。
吹雪で周囲の景色は見えないが、
独立峰としての磐梯山が持つ、
荒々しくも雄大なエネルギーを全身で感じた。
長居は無用。
山頂の標識にタッチし、
すぐに次の目的地、
猫魔ヶ岳へと続く縦走路へと走り出した。
尾根の試練、道標なき世界
山頂を後にすると、
コースは急な下りから、
再びアップダウンを繰り返す猫魔ヶ岳への尾根道へと続いた。
この区間は、強風にさらされながらも、
時折、吹雪の切れ間から、
眼下に広がる裏磐梯の湖沼群が見える、
絶景のトレイルだ。
しかし、疲労が蓄積し始める中、集中力が試される。

DCIM100GOPRO
猫魔ヶ岳を通過し、
コースはいよいよ旅の後半、雄国沼へと向かう。
ここからは、整備された登山道から、
より自然に近い、
静かなトレイルへと入っていく。
森は深く、周囲の木々は、
冬の装いを纏っている。
足元の落ち葉や倒木に注意を払いながら、
ペースを維持する。
しかし、雄国沼周辺の広大な湿原へと差し掛かった時、
私は、コースを見失った。
道標が少なく、
湿原特有の踏み跡が不明瞭な場所に迷い込んでしまったのだ。
焦りを感じながらも、
紙の地図とコンパスを確認し、
冷静にルートを修正。
数分間のロストだったが、
限られた制限時間の中で、
このミスは大きなプレッシャーとなった。
「トレイルランナーは、地図読みと判断力が生命線だ」
自らに言い聞かせ、
私は再び正しいルートへと合流した。
迷った場所から見える雄国沼は、
静かに水をたたえ、
その周囲を雪と枯れ草が覆い、
幻想的で、どこか寂寥とした美しさを放っていた。
湖沼群の抱擁、そしてゴールへ
雄国沼を周回し、
最後の力を振り絞って、
スタート地点である五色沼へと戻る。
コース後半は、
再び五色沼の周囲のトレイルとなる。
朝の静寂とは打って変わって、
太陽の光を浴びた沼の色は、
エメラルドグリーン、コバルトブルー、ターコイズと、
その名が示す通り、
刻一刻と変化している。
疲れ切った体にとって、
この美しい景色は、最高の癒しとなった。
最後の力を振り絞り、
私は制限時間内に無事、
スタート地点にゴールすることができた。
五色沼のほとりに戻ると、
太陽はすでに沈みはじめ、
観光客も帰り支度を始めていた。
吹雪の中を駆け抜け、
道に迷いながらも、
最後まで自分を信じきれた達成感。
そして、この裏磐梯の雄大で多様な自然を、
自分の足で縦走しきった充足感が全身を包んでいた。
裏磐梯山トレイルランは、
冒険と、
試練と、
そして、
火山が創り出した壮大な大地の物語を私に教えてくれた。

